ラミちゃんの本塁打性のボールをレフトフェンスにいたトラファンがグランドへ叩き落とした為 2塁打と判定
球界の元貴公子は血相変えて審判に猛抗議
やはり血は争えないものです・・・
東海大相模から親父とセットで東海大へ そして昭和50年ドラフト1位で巨人入団 新人王を獲得 2年目は全試合出場で33本塁打92打点のリーグ2位 3年目は初の3割に打点王も獲得 セリーグMVP 何をやってもすべて順風満帆でしたが・・・はいここまで
59年は大スランプ これは何を隠そうR大の怨念であります
ころは昭和52年6月6日 大学野球選手権 神宮第二球場
東海大学1年生にして4番「腹立つ」の打球は レフトのポールをかすめクソファール
その時オヤジ兼監督の原貢は血相を変えてベンチを飛び出し あれはホームランやと延々40分間も抗議 試合を中断しました
アマチュア野球で40分も抗議です お前は上田か
このときの相手校はR大 結果は10対7で東海大の勝ち